ある京都の男の話

こんにちは!人は誰でも生きているだけで誰かの役に立っていると信じている、おかちゃんです。

今日は、私の価値観をガタガタと崩してくれた、とても素敵でかっこいい友人の話をします。

”無謀だろう”と誰もが思った

大学の友人H君。

現在、立派な社長さんになって、自分のやりたい仕事にひたむきに取り組んでいます。

遅刻欠席常連の『ダメ男』

そんなH君。

今のH君に初めて出会った人には想像できないかも?という位、彼の大学時代はひどい生活でした。

彼は、1年生の頃から遅刻・欠席が多くて、単位落としまくり。

家の中はモノがぐちゃぐちゃ。

昼間は寝ていて、夜は友達とゲーム三昧で貫徹!

「明日の1限の授業、明日休んだら単位落としそうやねん。朝電話してくれへん?」

そんなお願いをされたことも、何度かありました。

意外なことを言ってきた

そんなH君から、大学3年の秋の夜に電話がかかってきました。

「おかちゃんが入ってるSゼミに入りたいねんけど」

ちょっと説明しますと、当時私が通う大学の心理学科は、3年生からゼミ制度がありました。ゼミとは、簡単に言うと、小中学校でいうところの「担任」の教員のもとで、「クラスメイト」が研究をしたり、勉強をしたりするものです。

私が入っていたSゼミは、心理学科の中で、一番”怖い”と言われる先生のもとで、授業以外の時間もかなり使って、障がいを持つ方の支援を行わせていただいたりしていました。

H君は、その支援に携わってみたい!というのです。

遅刻魔で学校にあまり?ほとんど?現れないH君がです。

『S先生に直接言ってみたらいいんじゃない?』と、答えた記憶があります。

同級生の間でも、少し話題になりました。

『あんまり授業にも来んのに、S先生の元でやっていけるん?』『卒業できるんかなぁ?』

正直、この話をポジティブに聞く人は、知っている限り1人もいなかったのではないかと思います。

それでも本当にやってきたH君

S先生がゼミに来る日を聞いてきたH君は、その日、本当にゼミ室にやってきました。

ゼミ室の奥に、先生の部屋があります。そこでしばらく話をして、出てきたH君。

「S先生なんて?」と聞くと、

「在籍は今の先生のままで卒業までするのがルールだから変えられねー。でも、Sゼミにも来て良いし、支援を一緒にしたいのなら、一度見学に来い。でも本気じゃなかったらゆるさねー、って言われた」

とのことでした。(S先生は本当にこんなしゃべり方をします。笑)

本当に一緒に支援をはじめたH君

それから、H君は本当に一緒に支援に携わりはじめました。

周りは『マジなん?』『しかも、H君大学院行くって言ってる。そもそも卒業は大丈夫なのか?』『支援の日も遅刻するんじゃないか?』など、ネガティブな視線を向けていました。

が、本人はどこ吹く風で、常に目の前のことに一生懸命取り組んでいました。

だんだんと、周りも『H君は本気なんだ』という風に見る目が変わりました。

一緒に検討会(支援を考えるために毎週1~2回集まる会)をしたり、勉強会を開いたりして過ごすうち、H君の情熱に周りも感化されて、良い雰囲気が出来上がることも多くありました。

H君の家に遊びに行くと、散乱した中に、支援の為に勉強する本がたくさんあり、そのどれもに付箋が大量に貼られていました。

いつも口笛を「ヒュー♪」って吹きながら、マーカーを手元でクルクル~って回しながら、足をガタガタ貧乏ゆすりしながら、楽しそうに本を読んでいる姿が、H君の新しい日常の姿になっていました。

一緒に大学院入学

H君は、本当に、本気を出して、無事に卒業し、大学院にもしっかりと合格して、晴れて一緒にまた学びを深めることになりました。

院生になった私たちは、これまで以上にハードで、正直、私はつぶれかけていたのですが、H君と喋ると、不思議と元気になり、「よっしゃ!やったるか!!」と気合が入っていました。

H君は、遅刻魔は少しおさまり(でも、やはり遅刻していたので、大学院の先生方からは完全に目をつけられていた)、勉強への情熱は、落ちるどころかどんどん燃えたぎり、ものすごいスピードで成長していました。

関西人でめっちゃ面白いH君は、いつの間にかゼミの中心的存在になっていました。

【みんな大好き H君】でした^^ 私も、H君と一緒に勉強したり研究したりすると、とても心地よくて、いつの間にか、すごく誰よりも頼りにする存在のひとりになっていました。

大学院修了。その後どうなったか?

心理学を学ぶ大学院生のその後は、大体、心理職に就職しますが、正直、仕事はあまりありません。

高い学費を払って学び続けたのに、臨時職員として働く友人が半分くらいいる中、H君もその一人になりました。

私は福岡に就職し、みんなとは離れてしまい、あまり状況を知らないまま過ごしていました。

そんなある日。同じゼミで一緒に学んでいたK君から連絡がきました。

「来年から俺とH君とTちゃんは、東京で働くことにした。おかちゃんも来ん?」と。

なんでも、Sゼミでしていた支援と同様のことをする会社ができるので、そこに就職することにしたのだというのです。

『その会社、本当に大丈夫なんかな?』

新しい会社に入るとか、東京に行くとか、当時の私には怖くてできませんでしたが、3人は本当に旅立ってしまいました。

東京のH君

H君は、東京でも相変わらず、ひたむきに情熱をもって勉強していたみたいです。

5年?6年?そのくらい、H君たちはその会社で働きました。

そして、H君が起業したと聞いたのは数年前。

その会社を経営しながら、現在も障がいを持つお子さんとそのご家族を支援する仕事を、今も楽しんで、それを生きがいだと感じながら取り組んでいるようです。

本当にカッコいい男です。

”絶対”はない

私は、本当は、H君がSゼミに入っても、途中で辞めてしまうと思っていましたし、

東京に行っても、不安定な会社だからすぐに戻ってきてしまうんじゃないかって、正直思っていました。

自分のことは棚に上げて、H君を下に見ていたところがあります。

本当は、H君のように冒険してみたかったし、H君のように「やりたい」ことは「やりたい!!」ってはっきり言えるようになりたかったし、H君のようにひたむきに努力できる人間になりたかったのに、

それが出来ないことが悔しく情けないを隠して『しっかりと地に足をつけて生きる私』として、通したかったのです。

現実のH君は、どんどんどんどん成長して、今も変わらず支援を続けている。

そんなH君から、

人間はどんな苦手があっても、どんなウィークポイントがあっても良い。

やりたいことを自分を信じてひたむきに行えば、叶えることができる。

と学びました。

そして、いつの間にか、H君は自分の『苦手』とうまく付き合えるようになっていて、むしろ『苦手』も自分の『持ち味=魅力』として生きるようになっています。

それは、もともとH君の魅力が高かったからという理由も多分にあるけれど。

でも、きっと、それだけじゃない。気がする。

今度、H君に取材させてもらって、色々聞きだしてみようと思っています!!

やりたいことを口にする

現在の私は、大学3年生の頃のH君のような状況だと思います。

右も左もわからないし、何の道しるべもない。

そして、やってみたいことも「佐伯市にホッとする居場所を創る」。ホワンとただそれだけです。

ですが、本気です。

その居場所が、大きいものか小さいものか、何をする場所か、どんな形態でするのか、、、そんなことは全くわかりません^^;

だけど、そこにいる人が『ホッとする』場所を創るというのは、絶対達成します。

それを現実にするために、私は、ここに文章を書きます。やりたいこと、好きなことや嫌いなこと、どんな風にモノを考えているのかを、さらけ出して書いていこうと思います。

なんか、H君のことを思い出したら、またやる気が出てきました。

「よっしゃ!やったるか!!!」

編集後記

昨日、防災リュックを背負って職場に行ってきました!それで、思ったのはただ一つ

「逃げ遅れる」

重すぎました。

今日は、息子の体調不良が続いているため、私も仕事を休みます。なので、息子と一緒に、防災リュックの中身を減らしてみようと思います!

おしまい。

あ!そうそう!

H君と言えば、私の結婚式の日に、礼服の靴を忘れてきてしまい、電話をかけてきたことがありました。慌てて神旦那の靴を貸し、無事に参列してもらえました。結婚式当日で、すごく緊張していたところに間の抜けた電話がかかってきて、ほっこりしたのでした^^

今更ですが、わざわざ東京から大分まで飛んできてくれて、ありがとうね!!

コメント